2000/02/23

Miscellaneous Works:解説・評論・講義:必携アラビアン・ナイト

『読売新聞』1998年 4月 12日
ロバート・アーウィン著、西尾哲夫訳
『必携アラビアン・ナイト>―物語の迷宮へ』(平凡社、1998年)
巽孝之

『アラビアン・ナイト』と聞けば、幼いころに夢中になったカラフルなおとぎばなしが思い浮かぶ。大臣の娘シェヘラザードがシャフリヤール王に語って聞かせた、とんでもなく長大でとてつもなく妖艶な物語。この王は、王妃の浮気発覚とともに彼女を処刑して以来、再び裏切られるのを恐れ、つぎつぎに処女をベッドに連れ込んでは翌朝首をはねていた。しかしシェヘラザードは、妹の協力を得て王に物語を聞かせ虜にし、はたして千一夜(二年と二百七一夜)の間、自らの命を賭け、王が処刑を諦めるまで、ひたすら語り続けていく。

歴史家アーウィンは、しかしまさにこの作品が、じつは特定の著者を持たず、インドやペルシアで発生した物語が八世紀以後にアラビア語化され、さまざまな写本や影響が流れ込み混じり合ったテクストである事実を、再確認する。

作者知らずの通俗的な物語となれば、写本の作成者が気ままに新たなエピソードを書き加えたりすることも少なくない。翻訳家にしても、一八世紀フランスのサロンが喜びそうな文体を選んだガランや、エロティックな部分を過剰に増幅させたバートン、一九世紀末的退廃趣味を反映させたマルドリュスなど、多士済々。現代作家では、実験精神旺盛なバースやラシュディらが抜本的に語り直しているし、オルベックのようにシェヘラザードの語りに教育効果を見るフェミニズム批評も出現した。

ルネッサンス期のフランスで古典文学の翻訳に携わった人文主義者たちは、俗に「不実な美女」と呼ばれ、厳密で正確な翻訳よりも風雅な意訳を優先したが、シェヘラザードの語りの妙は、読者をすべて彼女の似姿、すなわち不実な美女に仕立てあげてしまうところにある。たとえ語ることがなくなっても語り続けること、さもなくば命が危ないこと――物語の官能が人類の延命と裏腹であるのを痛感させる本書は、まさに今世紀を生き抜くために「必携」の一冊だ。