2000/02/24

Miscellaneous Works:祝辞の達人:2


2005年6月19日(日曜日)午後1時30分より
 於・ウェスティン東京地下一階・楓の間

依田家、倉澤家ご両家、本日はほんとうにおめでとうございます。
いまご紹介にあずかりましたように、わたしがここにおりますのは、新婦の依田君を1996年から1998年まで、慶應義塾大学文学部英米文学専攻におけるアメリカ文学のゼミでご指導申し上げたことによっています。卒論は20世紀アメリカ演劇の巨匠であるソーントン・ワイルダーで、タイトルは“The Universal Theme of "Living": Thornton Wilder's Dramaturgy and His Idea,”これは英文で100ページを超える大作でした。そのために、わたしが書き直しを要求した部分も多く、卒論提出直前には、依田君と夜中の10時ぐらいまでかかって研究室で手直ししていたのを、あたかも昨日のように思い出します。彼女が属していたのは、わたしが三田で教え始めて8年目なので7期生の学年にあたるのですが、このゼミ7期生の中には、のちに大学院に進んだ者をはじめ、作家デビューしてベストセラーを放ったり、歌手としてファンクのCDを出したり、映画の制作に関わりのちに助監督になったりとたいへん才能のある連中が多く、依田君もそのように恵まれた環境の中で大きな刺激を受けていたはずです。当時より彼女が演劇サークルStepsで活躍していたのはよく知っていましたし、卒業公演になる「青の研究」はたしか川崎市民プラザで行われて、見に行ったのを覚えていますから、そのときに新郎の倉澤君ともすれちがっていたかもしれません。

ただ、それだけならばわたしがここにいる理由はないでしょう。わたしのほうも今回、たんに自分のゼミを卒業したOGであるからご招待を受けた、という意識はあまりないのです。毎年暮れになりますとゼミのOB会、いわゆる同窓会が開かれるのですが、そもそも依田君本人はOB会への出席率が非常に悪い。ふつうOB会で顔を合わせなければ、どのような卒業生も疎遠になってしまいます。けれども、そのことを除いて考えると、むしろ依田君とは卒業後のほうが別の場所でよく会うようになった気がする。それはもちろん、女優としての彼女が新作に出演するたびに必ず招いてくれる劇場において、なのですね。しかも、わたしのゼミでは今年でかれこれ6年目になるホームページを持っていますが、依田君はそこの掲示板いわゆるBBSでもこまめに書き込みをしてくれる、近況報告をしてくれる。そういうこともあって、OB会にはあんまり出席しない依田君でも、卒業後疎遠になった気があんまりしなかった。

いささか乱暴な言い方をするならば、これはむしろ非常に理想的な人間関係かもしれません。ここにご出席のみなさんもそれぞれの同窓会というのを大切にしていらっしゃるとは思いますけれども、そういうときにかつての教え子から「おなつかしい」とかいわれると、じつはかつての教師は、何だかいきなり過去の遺物というかご隠居扱いされてしまった感じがして、あんまりうれしくはないものです。こちらはまだ生きているのに、「おまえはもう死んでいる」と宣告されたみたいな感じがするんですね。卒業生のほうは最低限の挨拶として「おなつかしい」と言っているのかもしれませんが、それはたいてい、卒業後にあんまり連絡を取っていない場合、教え子のほうも教師のほうもお互い何をしているのかよくつかめていない場合だけに成り立つ社交辞令なのですね。先生には在学中おせわになったけど、いま何をしているかよく知らないから、とりあえずは「おなつかしい」とその場しのぎを言っておけばいいや、というわけです。そして教師のほうも、社交辞令としてこの言葉が確立している限りは、咄嗟には言い返せない。これは、ご臨席のみなさまもくれぐれもお気をつけください。

さて、わたしと依田君のあいだでは、そうした会話が社交辞令でも交わされたことはなかった。それは、お互いがいま現在何をやっているか、どんな活動をしているかをよく把握しているからです。その意味でも、かつての学生には二種類しかない。ひとつのタイプは、卒業後まったく連絡がなくなって、それこそ死んだも同然になってしまう教え子。もうひとつのタイプは、卒業後もきわめて密接に連絡を欠かさない教え子。依田君は後者であり、卒業後の彼女から必ず連絡を受けてきたため、出演する舞台のほとんどに、わたしは足を運んだはずです。とくに印象が強烈だったのは2001年8月に銀座でやった「愛の幕張7」のコンパニオン役と、つい昨年2004年2月にやった清水邦夫の「いとしいとしのぶーたれ乞食」の自殺マニアの娘役でしょうか。そしてもちろん2003年には、わたしが依田君をご紹介することになったいま最先端の劇団のひとつ燐光群の読売文学賞受賞作「屋根裏」にも出演を果たし、これがNHKテレビでも全国放映されたときには、ほんとうにうれしく思ったものです。依田君はほんとうに芸域が広い女優なので、どんな役でもこなせるわけですが、とりわけコメディ・タッチの作品で成功することが多い。コメディエンヌとしての依田由布子というのは、今後も大いに期待するところです。そして、卒業後の彼女がこのように生き生きと演劇を続け、それが縁で今日の華燭の典を迎えたことを、心から喜んでいます。

最後に、依田君が卒論に選んだソーントン・ワイルダーという劇作家が1938年に初演した代表作である『わが町』Our Town、まさしく結婚を重要なテーマのひとつにしていることにふれて、このつたない祝辞をしめくくりたいと思います。この作品は、舞台設定こそアメリカ東海岸はニューイングランドのニューハンプシャー州に位置する、どこでもありそうなスモールタウン、クローヴァーズ・コーナーズで、そこに登場する人々もどこにでもいそうなキャラクターばかりなのですが、いささか変わっているのは、時間の設定が1938年から始まったかと思うと1901年にさかのぼり、そこから1903年、1913年、そして再び1938年の現在へ戻るというふうに、いささか変則的な構成になっていること。それから、ここで、かつて野球選手ジョージとはなばなしい結婚式を挙げるもいまでは死んでしまった女性エミリーが、むかし自分の生きていた時代、それもいちばん幸せだった時代へいちどでいいから戻りたいと願うというように、生きている人間と死んでいる人間とが同時に登場してくることです。

とはいえ、ここで語られるのは、必ずしもゴースト・ストーリーめいたホラーではありません。それどころか、死んでしまったあとだからこそ、生きていたときの時代の幸福が実感できるということを、じつに逆説的に描いているのです。この作品の主人公のひとりエミリーは、死んでしまったあとに、生きているあいだにはあまりにも幸福があたりまえであるため誰もそれに気がついていない、という人生の真理をつかみます。彼女はこう問いかけます——「生きているうちに、いのちのすばらしさを、その一分、一秒をみとめた人間て、誰かいたのかしら?」それに対し登場人物のひとりである「舞台監督」はこう答えます——「ないね。聖者と詩人は、おそらく——時にいるだろう」。幸福の渦中、生きている渦中にいる人間はそのことの大事さに気がつかない、というこの認識は、いささかシニカルな印象すら残すワイルダーの人生観でしょう。

依田君がこの作品を中心に卒論を書くと決めたときにはまだ20歳かそこらですから、わたしはそれを聞いて、彼女はまだ若いのに、死んだあとになって結婚の意味をふりかえるようなこういう逆説的な作品をよくぞ選ぶ気になったものだと、むしろ感心したものでした。

しかし、これもさらに逆にいえば、依田君はこの作品を通して、いま現在の時点で幸福を実感するための哲学をまなんだのかもしれない、とも思います。彼女はじつは、さきに述べた劇団燐光群を早々と辞めてしまい、そこから当然プロ女優になると思っていたわたしはびっくりしたものですが、退団するときに彼女はメールをくれて、自分の演劇的方向性のちがいを述べるとともに、「演じることに幸せを感じるような公演だったら、何もプロでやることにこだわらない」と述べていました。わたしは彼女にとって女優は天職だと思っていますから、この決意を聞いて、大いに頼もしく思ったものです。
今回、最大の理解者である倉澤君とめでたく結婚することにより、こんどは人生というもうひとつの舞台において、最大級の幸福をつかむよう、心から祈ってやみません。

6/19/2005

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