2000/02/22

Miscellaneous Works:エッセイ:A.I.

『産経新聞』 2001年 7月 6日夕刊

『A.I.』論
キューブリック監督とスピルバーグ監督
巽孝之

この作品(『A.I.』)はいたるところにキューブリックへのオマージュが見えます。映画冒頭、スウィントン家の長男が入院していた病院は『2001年宇宙の旅』のイメージ。ロボットのジャンク市場は『スパルタカス』。印象的だったのは、はるか時を経てデイビッドが発見される場面です。『2001年宇宙の旅』で、エイリアンが作った人類進化の導標「モノリス」を人間が掘り出すシーンそのもの。人類の記憶を内蔵したデイビッドがモノリス的役割を果たすんですね。2001年に、『2001年…』に登場するコンピュータ「HAL」の末裔である人工知能のデイビッドが生まれるばかりか、モノリス的データベースになるのは、非常に興味深い。

キューブリックとスピルバーグでは、監督としてのカラーが全く違う。思索的なキューブリックが、なぜ娯楽的なスピルバーグに『A.I.』を任せようと考えたのか。子供を撮るには、自分よりスピルバーグの方がいいと考えたのかもしれません。現に『A.I.』は、特に後半が、完全に“スピルバーグワールド”でした。童話「ピノキオ」を下敷きに、スピルバーグは忠実です。ルージュ・シティのセットもユニバーサルスタジオそのもので、分かりやすい。『2001年…』では「HAL」の視点で世界が表現される場面がありました。しかし今回は、「愛されたいロボットは人間社会の現実をどう認識しているのか」という世界観を、デイビッド本人の内部からは表現していません。何でも形にするスピルバーグと、あくまで内側に入り込んでいくキューブリックの違いが、ここにある。

スピルバーグはそれをオスメントという子役に任せた。キューブリックならば、ジュード・ロウを主役に、デイビッド少年を一度も観客に見せない映画を撮ったかもしれませんね。(談)


『A.I.』論:キューブリック監督とスピルバーグ監督