2000/02/18

Ogushi Hisayo's Essays:ニューエイジ登場2




 生まれて初めて「学会」というものに参加したのは、大学時代にアメリカ留学していた1991年のことだった。当時オレゴン大学に在学していた私は、毎年年末で開かれる<近現代文学文学協会>の年次大会が開催されたサンフランシスコへと赴いた。Modern Language Associationというこの学会は、全米で一番大きな文学・言語学関係の学会である。文学や言語に関する研究・教育をリードするMLAの年次大会は、ヒルトンやマリオットといった一流ホテルを借り切って、四日間の期間中に何百というパネルが開かれ、全米や世界中から何千人もの学者が集まる一大イベントだ。

 分厚いプログラムブックにはそうそうたる学者の名前が並んでおり、私は四日間の間にどのパネルを見るか悩んでいた。その中に、アレン・ギンズバーグの名前を見つけた。言わずとしれた、もっとも有名なビート詩人のひとりだ。ギンズバーグが詩を朗読する、というパネルだったと記憶しているが、私はそのとき直前までかなり悩んだあげく、別のパネルを見に行ってしまった。その後数年してギンズバーグがなくなったとき、私はこの偉大なアメリカ詩人の謦咳に接する機会を永遠に失ったことを悔やんでいる。

 留学から帰国したその年の夏に、私はあるチャンスに恵まれた。サンディエゴ州立大学教授のラリイ・マキャフリイ氏と同シンダ・グレゴリー氏が日本の現代作家のインタビューを行った際に、同席させてもらったことがある。それは恵比寿で行われた島田雅彦氏とのインタビューだった。マキャフリイ氏、グレゴリー氏、そして越川芳明氏とともにJR恵比寿駅の改札で待っていると、島田氏はふらりと現れ、越川氏を見つけて「どうも」とか言いながらこちらに向かってきた。いたって物静かで、どこか緊張したような島田氏のあとを、私もだまってトコトコとついていった。

 しかしインタビューが始まると、島田氏は突然饒舌になった。話したいことがたくさんあるといったふうに、マキャフリイ氏の問いにどんどん答えていく。マキャフリイ氏もそれに触発されたようにつぎつぎに質問をくりひろげ、時には脱線しながらも、話題はつきることがなかった。数時間たったとき、マキャフリイ氏は「インタビュー自体はこれで十分だ」とカセットテープを止めた。だが次の瞬間「さぁ、ここからは録音ナシだから」と、さらに自由に論議がなされていたのが印象に残っている。まさに作家・島田雅彦と、批評家・マキャフリイ氏およびグレゴリー氏が一体となって文学・文化論を作り上げている様子を私は目の当たりにした。結局そのインタビューは深夜にまでおよんだ。後に私はインタビューをテープから起こしたのだが、それは本当に楽しい作業だった(このインタビューの一部を翻訳したものが『ユリイカ』(1994年6月号)に掲載されている)。

 おなじインタビューで印象的だったのが、SF作家の大原まり子氏である。同じくマキャフリイ氏とグレゴリー氏が、英訳されていた大原氏の短編「メンタル・フィーメール」を中心としたインタビューを取っている。私はこのインタビューには同席しなかったが、その翻訳に携わることとなり、マニュスクリプトをいち早く読める機会に恵まれた。そのインタビューでは、大原氏の読書体験や「書くこと」への意識、また作品ができるまでのプロセスなど、マキャフリイ氏がさまざまな面から「大原まり子」というひとりの作家と対峙しようとし、大原氏は時に考えながら、時に相手の理解を確かめながら、それに対し真摯に答えている様子が印象的だった。

 二十歳そこそこの私が、こうした「作家の声」にふれる経験ができたことで、私の文学の守備範囲を少しずつ広げていく結果になった。同時に、「インタビュー」というジャンル魅力と難しさいったものを、マキャフリイ氏から教えてもらったと思う。

 私が初めてインタビューを受けたのは、つい昨年のことだ。出身ゼミで作っているPanic Americana という同人誌を担当している後輩から、拙著『ハイブリッド・ロマンス』について話を聞きたいと、インタビューを申し込まれたのだ。インタビューする方もされる方も初体験だったこともあって、お互い緊張しながらのインタビューだったが、自分が考えたこともなかった点を指摘されたり、あるいは思いがけないところ意見をうかがえる機会となった。後輩からおそるおそる出される質問に、こちらはこちらでたどたどしく答えながら、私は十年前のラリイ・マキャフリイ氏の畳みかける質問と、それに答える島田雅彦氏との言葉の応酬を思い出していた。おもえば、いまの私は当時の島田氏とかわらぬ年齢になっている。

 このインタビュー企画が、つい昨年Review of Contemporary Fictionの日本文学特集号として刊行されたことは、前回もふれた。十年がかり、というのはいささか時間がかかりすぎたと思われるかもしれない。しかし十年という時の試金石を経てなお価値のあるインタビュー集になっているように、私には思われる。

(『週刊読書人』2004年6月27日号)

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