2000/02/17

Kotani Mari Essays:読むサラダ1



コスプレ感覚で大正浪漫茶会 海外の人とは話のきっかけ

最近、キモノにハマっている……なんていうと、たいへん感心される。伝統芸は金と暇がかかるもの、という古典的なイメージが強いからだろう。

実際には、最近事情が少々変わってきていて、若い人たちが、ネットオークションで古いキモノを取引したり、ブローチつけたり、ハイヒールはいたり、自由自在に着て愉しんでいる。けっこうお気楽な感じが広まってきて、ぐっと身近に思えるようになったのだ。

着始めてみると、昔の女の人たちがどんなふうにお洒落をたのしんだり、ちょっとした工夫をこらしたりしていたのか、とか女性のライフスタイルにもいろんな発見があって、楽しい。文献をあさったりもしながら、こういう感覚って、海外の人が日本文化に興味を持つのと同じ感覚かも、と思ったわけです。

そう。欧米で着物を着てると、やたらにウケる。それも殿方に、ではなくて、淑女連がどどっとやってくる。「立って」「座って」「さわらせて」「これはなんというの」「ポケットはどこ?」と、いろいろな質問を口にされる。それをきっかけに話に花が咲いたりする。いにしえの女と、異文化の女。着物を媒介に女性のネットワークがつながっていくようで、それもエキサイティングだ。 

西洋の女性陣が、キモノ、おお、それはぜひ着てみたーいとおっしゃることも、まれではない。ついこの間も日本文学者でアニメ研究家スーザン・ネイピアさんが、そんな希望を述べられた。そういうことなら、ここは一肌脱いでーーいや、キモノ着て、と友人と相談し、お茶会を計画してみた。

場所は、近所の区民センターの和室。アニメ・ファンの集まりということもあり、型にはまってカチンコチンというより、コスプレ感覚で異世界構築しよう、という柔らかい趣旨。  

たまたま映画「春の雪」にハマっていた我々は、「大正浪漫茶会」とのテーマをたて、思い思いの、大正ふう着物姿で集結することに。

昔の写真を参考に、親から譲り受けてタンスで死んでた着物をひっぱり出し、丸メガネをかけてみたり、お下げにして女子高生スタイルにしたり。え?ミドルエイジなんですけど、まあ、細かいことは気にしない、気にしない。

当日、楚々とした身なりで集まった我々、その姿でケータイかけたりしていると、なんだか、大正時代に未来人がタイムトラベルして観光しにいったみたいで、新鮮。西洋のかたには、正座がちょっときつかったみたいだけど、こういういたずらっぽい企画もいいなーと思ったわけでございます。


(読売新聞日曜版 2006年 6月 4日 19面に掲載)

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