2000/02/17

Kotani Mari Essays:SFファンの1984




わたしが最初にアメリカを訪れたのは二〇代も半ばを迎えた一九八四年の夏のことである。これは、後にサイバーパンクやサイボーグ・フェミニズムといった一連のハイテク文学運動が姿を現す記念すべき年として記憶されることになるわけだが、もちろん、当時はそんなことなど知る術もない。

その旅は、ロサンゼルスで開催されることになっていた世界SF年次大会(通称LACONx)に参加するためのものだった。幼い頃から天文と読書が好きだったわたしは、十代のころにはすっかりSF小説の世界にのめり込んで、心に自分専用の宇宙船とタイムマシンをちゃっかり操縦して満足していた。

SF読書生活が高じるとどうなるか?当然SFファン社会(ファンダムという)に顔を出すようになり、同人誌に手を染めるようになり、ついには、SF大会詣でを始めてしまう。最初は日本SF年次大会、お次は地方大会。やがて単に訪れるだけではものたりなくなって、ボランティア・スタッフに志願する。学生にとってけして安くはないSF旅行に出かけ、徹夜でSF大会会場で動き回って帰宅すると、ノンSFファンである親・妹は呆れたものだが、とにかく楽しいんだから、いいじゃない。

しかし、当時のわたしは徐々に厭世的になりつつあった。SFのテクスト世界は夢一杯なのだが、ファン社会となると、ファースト・コンタクト&黄金時代を過ぎたころからさまざまな人間関係の怨念も見えてくる。友人が強引に誘ってくれなければそろそろSF大会詣でをやめようかと考えていたくらいで、生涯の思い出に一度ぐらいはアメリカの世界大会を見物し、後はSF読書家として郊外で静かに暮らそうというのが夢だった。

ところが、虚無的気分に囚われていたわたしを待っていたのは、肝をつぶすほどのアメリカの広さである。それもそのはず。アナハイム・コンヴェンション・センター他近郊ホテルすべてを使って開催されたLACONxは、『スターウォーズ』や『スタートレック』などの当時の映画人気を反映してか、約一万人以上のSFファンを動員するという史上最大規模をほこるウルトラ大会だったのだ。このため、宿泊していた隣のホテルから駐車場を横切って歩いて行くだけでヘトヘトになってしまう。これではアンニュイを気取っている余裕もなくなって、とにかくメシをたくさん食って足をがんがん使わねばついていけないと、いきなり元気になった。

とはいえ、SFファンがペーパーバックを読みながら(大会に来てまでSF小説を読んでいるとは!)プールサイドにのんびり寝転んでいるのを眺めているのはいいもので、ついつい立ち止まってほのぼのしてしまう。そうしたら、大急ぎで角をまがってきた人物に激突してしまった。顔を見ると、『スター・ウォーズ』のレーア姫だった。いや、レーア姫のコスプレをした若い女性だった。なんと嬉しいところへ来てしまったのだろう!ふと気が付くと銀河帝国語でもなく日本語でもない言葉をプリンセスはしゃべっていた。それは、わたしが始めて耳にするSFファン特有のジャーゴンだらけの早口英語だった。

名作SF映画は一日中流しっぱなし、さまざまなパネルや有名作家のサイン会がひっきりなしに行われ、そこいらじゅうをコスプレ者が徘徊し、顔を合わせればファンがSF小説の話をしまくる。自分を含めて明らかに「オタク」とわかる人々がホテルに充満する特異な環境を泳ぎながら、持ちきれないくらいタニス・リーのファンタジイのペーパーバックを買い漁り、未読のアン・マキャフリイの<竜騎士>のハードカバーを買い、料金無料のアイスクリーム・パーティへ行き、ロバート・シルヴァーバーグを写真に収めていると、つくづくモノが豊富でエンターテインメントに徹底しているアメリカSF生活の実態がうらやましく、高揚した。

約二千年近くの歴史を持ち、狭い空間を決められた規範を守って異質性を排除していく<時間の国ニッポン>の国内大会と異なり、空間の国アメリカのSF大会では、とりあえず今ある要素をなんでも並列してみました的な懐の広さがある。

以後、SF大会中毒患者として何度となくアメリカを往復するようになり、SF大会用ホテル内とその地区の本屋にだけは異様に詳しくなって今日にいたっている。SF大会がクリスマス・パーティーみたいな、きわめて特殊な祝祭空間であることを知るようになっても、初期の体験はよほど強烈だったのだろう、いまなお、わたしにとってアメリカのイメージといえばSF大会だ。

これは、あながち大袈裟な言い方でもないようだ。SFはアメリカと相性がいい。テクノロジーに対する異様なまでの関心、強烈なフロンティア・スピリット、童心、無邪気さ、独創性、素朴さ……これらはアメリカ大衆の無数の夢を吸収し繁茂してきたジャンルSFにとりわけ色濃く継承されているように思う。「SFはメディアである」という明言を吐いたのはSF作家の大原まり子だが、ジュール・ヴェルヌの仏SFとH・G・ウェルズの英SFを吸収してアメリカでSFが急成長を遂げた背景は、雑誌やラジオや映画、テレビといったメディアの急激な発達抜きに考えられない。

近年、アメリカでカルチュラル・スタディーズが勃興し、高度メディア時代とともに特異な文化を築くにいたったSFファンの生態学すらもさかんに取り沙汰されるようになったので、日本人女性であるわたし自身のSFファンとしての覚醒が、必ずしも自然発生的なものではなく、むしろテクストに内包されるアメリカニズムと関連がありそうだということに気付きはじめた。

ジョージ・オーウェルの『一九八四年』は監視と洗脳ネットワークの物語だったけれど、ひょっとするとわたし自身は現実の一九八四年以来SFに没頭するあまり、心の中にメイド・イン・U. S. A.のマークの入ったSFファン発動装置を飼い続けているかもしれない。

(3/6/1997)

<時事英語研究>( 1997年 5月号特集「エッセイ アメリカとわたし」)